「イエスは答えて、彼らに言われた『あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい』」マタ イ11:4

バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の不法を真正面から断罪、そのために投獄された。ヨハネは正しい事をし、主は正義なる方、自らの投獄は理不尽で、それこそ不法だ。何の罪も犯していない。神の御前に誠実に歩んだのであり、主が、正しい対処をして下さるはずと思ったに違いない。

 

しかし投獄されて、幾日が過ぎても、何の音沙汰もなく、何も起こらない。イスラエルの王国を打ち建てられ、王となられるのではないのか。牢獄の中でヨハネの思いは、どんなものであったろう。それで、弟子たちに「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」と問わせた。

 

主はその時に、弟子たちに答えとして、「自分の聞いたり見たりしていることを報告せよ」と。目の前の「事実」を告げよと言われた。「盲人が見、足なえが歩き~」これは、救い主到来の時の預言だ。つまりはヨハネが自分でわからない限り、わからない。人に幾ら説得されたとしても、自分で受け入れようとしない限り、納得はできない、

 

自分で御言葉を真剣に受け止め、真摯に向き合い、事実を見ようとし、そして見た事実を認める時に、御霊の助けで真理がわかるようにされる。私たちも自分の思いや偏見、先入観があれば、神が見えず、神の事柄をつかめない。自分の偏見や先入観を除いて行く時、正しく神が見えて、御心がはっきり見えて来る。目の前のこの事に神を見、過去のあの事にも神が見える。

 

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ヨハネが、弟子たちから見たり聞いたりした事を、聞く時に、主がわかると言われた。私たちも主を見ようとし、聞こうとする時に必ずご自身をわからせて下さる。求める者にご自身を現して下さる。ヨハネの問いに答えられた主に、私たちも問うて行こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係