「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた」ヨブ1:6

ヨブは、突然7人の息子と3人の娘を失い、雇人と家畜の全所有物を、1日の内に失ってしまった。わけがわからず、誰でもパニックになって当然の状況だ。しかしヨブは、地にひれ伏し、主を礼拝し「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と受け止めた。目の前の言葉も無い、打ちひしがれるような状況に、主を認め、主の主権を認めたのだった。

 

その後、次にはヨブ自身に、足の裏から頭の頂きまで、全身に悪性の腫物ができた。土器のかけらで、身をかきむしるという悲惨、悲痛な状況だった。妻は、ヨブに神を呪って死ねとまで言った。極限状態だ。だが、これらの原因はヨブではなく、背後にサタンの介入があった。

 

サタンは、神にヨブを中傷し、ヨブが忠実に従っているのは、自分の利得のためだと。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」つまり見返りがあるから、従っているのだと。サタンは告発者だ。兄弟たちを中傷する。「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」だ。そのため神は、限界を定めた上で、サタンの介入を許可された。つまりサタンの働きであった。

 

しかし重大な事は、サタンは働くが、なおもその背後に、サタンをも支配する、神の絶対的な主権がある事だ。それはサタンも侵せない。私たちもサタンの攻撃や誘惑に絶えず悩まされる。だがヨブの出来事の、明らかにされた舞台裏を通し、サタンは主の定めた範囲内でしか働けない事を見せられる。

 

苦しみの時、一見サタンにほんろうされているように見えても、限界が決められている。耐えられない試練は無く、脱出の道がある。そして忍耐の後、ヨブは2倍の祝福を受けた。試練には、必ず豊かな祝福がある。そして必ず成長が与えられる。

 

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次々と苦しみが臨むと、サタンにほんろうされているように感じてしまうが、そうではない。背後に、サタンをも支配する、絶対的主権者である主がおられる。そこに焦点を当てていよう。主が万物の支配者であり、最初であり最後である方だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係