「イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた」マタイ4:1

主は40日の断食を終えられ、まさに限界ギリギリの空腹状態だった。サタンは、その主に誘惑を仕掛けてきた。「この石をパンに変えよ」と。神の子で何でも出来るのだから、目の前の石をパンに変える事ができる。自分でパンを作ればよいではないかと。「今、死んでしまうと、人類の救いも、何も無いではないか」「とにかくまず命を保たなければ」「このままでは確実に死んでしまう、神はパンを与えてくれるのか?」との疑いを吹き込む。

 

「神に頼るだけで大丈夫なのか?」「この危急の場面は自分で何とかした方がよいのでは」と、「自分でしてしまえば、すぐ出来るよ。それでうまく行けばよいではないか」。「自分でやった方が早いよ。命を保つ事は、御心にかなった事なんだし」それこそ、ここで死ねば、元も子もない。どうあってもパンを食べて、とにかくは生き延びねばと。

 

神に頼り続けるなら、あたかも餓死するかのように錯覚させる。「自分で調達すれば?」神のためなんだからと、神を頼る場所から離し、自分の判断で動き、自分の力で事を行なうように仕向けて来る。サタンの巧妙な誘惑だ。肝心な事は、「神が」パンを与えて下さるという事だ。

 

どこまでも神の言葉の下に自分を置いて、従うことが信仰だ。パンが命を造るのでなく、神の言葉が命を造る。神への信頼を何とかして崩そうと攻撃して来る、サタンをわきまえていよう。

 

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サタンは、とにかく自分で事を起こすようにと仕向けて来る。主に頼らずに、祈らずに、自分の思い、自分の判断、自分の力で進むようにと。「わたしを離れては、あなたがたは何をすることもきない」とあり、自分ですると御霊の実を結べない。主を仰ごう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係