「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」ヘブル6:1

乳ばかり飲んでいる者は、幼子で、乳とは「キリストについての初歩の教え」とある。幼子は固い物を消化できないので、乳を飲む。生まれたばかりで、乳を飲むのは当然で、良い事で、すぐ固い物を食べるなら、消化不良で逆に胃腸を傷めてしまう。しかし、大人になってもいつまでも乳だけを飲んでいるならどうだろう。乳から離乳食、固形物へと移るのが普通で正常だ。

 

柔らかい乳の言葉だけを求めるのが、霊的幼子だ。固形物である義の教えや、試練、訓練、鍛錬については耳が痛く、聞きたくない。しかし主は厳しい訓練、患難、砕き、聖化を備えておられる。「あなたを苦しめ、あなたを試み」と。幼子は自己中心だ。自分中心に世界が回っていて、自分の思い通りにならなければ泣きわめき、自分を通して行く。

 

乳児は固い食物が食べられないように、従いたくない言葉は吐き出す。自分が受け入れられ、認められ、ほめられ、評価されたいばかりだ。又、問題解決して欲しいだけで、自分を捨てる事、自分を砕いて従う事には、心が向かない。主を知ることや、何が主に喜ばれるのかに思いが至らない。どうだろう。幼児性は無いだろうか。

 

すべての人が大人へと成長する事が主の御心で、喜ばれる事だ。主は必ず成長させて下さる。自分の都合に御言葉を合わせるのでなく、御言葉に自分を合わせ、自分を従わせて行くことを祈ろう。自分を砕いて御言葉に従う時、自分が変えられて行く。必ず一歩一歩成長して行く。成熟を目指して進ませて下さる。

 

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自分の力で成長する事は出来ない。成長させて下さるのは、主だ。御声に耳を澄まし、御声をよく聞いて、示された事に一つ一つと従って行く時に、成長が与えられる。従おうとする事がすでに、古い自分を捨てて、主の喜ばれる事を選んでいる。自我が砕かれて行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係