「いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」Ⅱコリン ト9:7

ある青年がバイブルキャンプの最後の集会で、大変恵まれ、心が満ち満ちて、感謝が溢れ出た。何かをしたくて、最後の感謝献金の時に、財布をひっくり返して、全部献げた。後のことは全く何も考えておらず、とにかく全部献げたかった。献げた後も、喜びと平安に心は満たされた。集会終了後、帰りの交通費も無かった。

 

しかし不思議に不安は無く、心にずっと平安があった。すると、車で来ていた人が、同じ方向だから、一緒に帰りましょうと誘ってくれた。主の導きを感謝して、更に心に喜びが溢れた。

 

ある人は会堂建設時に、貯えを献げるよう御霊の促しを受けた。そうしたいのだが、出来ない自分もいて、悶々状態だった。どうしても惜しむ心、渋る心があって、しかし、ありのままを祈りに持って行った。するとその日に、とても不思議な夢を見た。それは泥棒に入られ、全財産を盗まれてしまい、失意で茫然と立ちつくす夢だった。

 

その翌日、何と自由意志で喜んで献げる事ができた。そして心に喜びが満ちた。祈りに答えて、主が献げる事ができるようにして下さった事が更に感謝だった。ある人も不思議を経験した。礼拝の中で、ずっと祈っていた事の答えを主からもらった。御言葉が与えられ、主にまみえて平安が満ちた。

 

献金の時に、主に心からの感謝をお献げしたいと願い、財布の中身を全部献げた。その帰りにあちこち寄っている間に、何と財布を落としてしまったのだ。献金できて良かったと、心から主に感謝した。そして何にも代えられない平安と喜びを味わい、心満たされた。

 

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少しだけ蒔く者は、少しだけ、豊かに蒔く者は豊かに刈り取るとあり、献げる時、豊かに祝福して下さる。何のために生きているのだろう。貯えるためだろうか。御霊の導きのままに従う時に、何よりも主を新たに知って行けて、霊の喜びを経験して行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係