「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか」マタイ19:16

永遠のいのちを求め「どんな良いことをしたらよいか」と主のもとに来た青年に、主は「良い方は、ひとりだけ」と答えられた。主が、唯一の良い方を信じることを、言われたにかかわらず、彼は、行おうとの思いに満ちていた。それで主は、間違いを教えようと律法を持ち出された。

 

律法は、自分の力で良い事ができないことを教えるためにある。青年に、自分にはできない事を教えようとされた。「殺してはならない・・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」しかし彼は「みな守っている」と答えた。更に「何が欠けているのか」と。すると、主はその財産を貧しい人に施すよう言われた。

 

もし、彼の言う通り、律法を守っているなら、隣人を愛しているはずであり、貧しい、困っている人々に喜んで施したはずだ。しかし、できなかった。自分の力では、律法を守れない事を主は認識させたかった。だからこそ「良い方」がおられて、成し遂げて下さることを。その主に頼って欲しいと願われた。

 

しかし、彼は主に頼らず、財産を手放せず、主のもとを去ってしまった。私たちも、財産=自分の力であり、自分でする良い行い、自分で律法を守る事を、捨てられないだろうか。自分を誇りたくて、評価されたくて、認められたくて、プライドゆえに、自分の力で主に従おうとするだろうか。その自分を捨てる時、良い方が行いを与えて下さる。主のもとを去るのでなく「自分の力を捨てられません」と主に頼ろう。

 

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まだまだ力不足でと言いながら、自分の力を頼みにしているなら気づきたい。「何が欠けているのか」と御前に言い張っていく。御心に叶う事は何もできない。へりくだり主に頼ろう。そこから希望がわいて来る。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係