「悪いことをする者は光を憎み・・光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20

ある医師が、極めて厳しい困難な状況にある患者から、心の悩みの相談を受けた。その時に、その医師は自分の専門外の事だったので、率直に「ごめんなさい。自分にはわかりません。何も言って上げる事ができません」と話した。うまくごまかしたり、繕ったり、適当にあしらったりせず、正直に自らの無力を認めた、その医師は誠実だった。

 

主は常に私たちを助けよう、助けたいと願い、待ち構えておられる。しかし私たちの態度が問題だ。主の御前に、正直である事を喜ばれる。主に対してただ正直で、真実で、ありのままでありさえすれば、主はどんな状態でも導いて下さる。どんなに自分で酷い状態だと思っても、御前に正直でさえあれば、主は必ず導かれる。

 

「真理を行う者は、光のほうに来る」。真理を行うとは、主の御前にありのまま、正直であることだ。正直な自分を認めることだ。ありのまま認めるので、光の中にいる。光に照らされるので、罪がはっきりとわかり、悔い改めることができる。そしてその罪は、完全に赦される。そのため平安と喜びの中におれる。

 

罪を認めたくなければ、光のほうに来ない。それなら、やみの中にいることになってしまう。「わたしは彼らを贖おうとするが、彼らはわたしにまやかしを言う」自分を繕い、ごまかしてしまう。ありのままを認めて行く時、御霊の光に照らされる。光は心の隅々まで照らし出し、裏表の無い人格を形造る。御霊に照らされる自らの姿を認める事から始めよう。

 

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自分の罪や弱さからは、目をそむけていたい。見たくないし、逃げていたい。しかしそれなら闇の中だ。罪を持ったまま主のもとへ行く時、心照らされて、罪がわかる。主のもとに赦しがある。主の赦しを経験する時、主の愛がわかる。ますます愛を知って行ける。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係