「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21

神の御心を求める時に「示して下さい」と祈り、聖書をパッと開いて、開いた箇所の目についた御言葉を取り「示された!」と言うなら、それは違う。危険だ。聖書は占いの本ではない。どの御言葉にも前後関係があり、文脈があるので、それを無視して、1節だけを取り出すのは、間違った、正反対の方向に進んでしまう。

 

又、人は主観が強いので、強い思いがあると、御言葉を自分の都合のいいように取り込み、思い込んでしまう。聖書はタウンページではない。自分にピッタリの御言葉を探し出し、見つけて来て、これが御心としてしまう。都合の良い御言葉が欲しいと、無意識にもそれに反する言葉は退けてしまう。

 

御心を求める時は、よくよく祈る事が大切だ。主の御前に静まり、自分に罪があれば悔い改めよう。主との正しい関係になければ、御心はわからない。右でも左でもOKですと、自分の思いを明け渡す事が大切だ。そして耳を澄まし、アンテナを張り、御言葉を待とう。説教やデボーションや学び会から、信仰者との交わりから、様々なものを通して、主は必ず語りかけられる。

 

指導者の助言も有益だ。祈りつつ、御言葉を待ち望み、環境をじっと見ていよう。門が閉ざされたなら、御心でない。御心なら、必ず主が環境を開かれる。ひとりでに門が開かれ、御言葉と平安与えられ、なおかつ祈るなら「確信」が与えられる。その時は、立ち上がり、前進すべきだ。

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強い思いを祈りで主に明け渡していこう。自分の感じることが全てになる過ちから守られる。これまで見えていなかった道を主は、様々なことを通して教えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係