「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめくださいます」Ⅰヨハネ1:9

もし、私たちが人に知られたくない、恥ずかしい失敗した時には、どうすればよいのだろう。それを隠ぺいして、無かった事にしてしまいたい誘惑が来る。ダビデがバテシバと姦淫の罪を犯した時に、最初は隠ぺいしてしまった。又、周囲に、責任転嫁をする誘惑が来る。アダムが食べるなと言われた木の実を食べて、罪を犯した時に、エバのせいにした。エバは蛇のせいにした。自分は悪くない。

 

例えば、子どもが、床に置いたままのコップにつまずいて、水をこぼした時に、こんな所にコップを置く者が悪いとなる。ここに置かれていなければ、自分はこぼさなかった。又、人の言動にいら立ち、怒りが沸く時、いら立たせる事を言う相手が悪い。相手が言わなければ、自分は怒らない。万一相手が悪くとも、こぼしたのは自分で怒るのは自分であることが、スルーされてしまう。

 

私たちは、必ず失敗する。失敗しない人はいない。皆、弱さがあり、間違った選択をしてしまう。罪を犯したくないが、犯してしまう。その時の態度が大切だ。無かった事にし、無視するのか、その事を認めないで、否定してしまうのか。又、人に責任転嫁するのか、主は恵みの道を備えて下さっている。

 

「自分の罪を言い表すなら・・その罪を赦し、すべての悪からきよめて下さる」。いっさいの言い訳と弁解をやめて、自分の失敗に、罪に向き合う事が大切だ。それは失敗を認め、悔い改める事だ。それが責任を取るという事だ。その時、光の中におり、完全な赦しを受け取る事ができる。言い訳など必要なく、恐れる事も、逃げる事も必要ない。その罪は赦され、真っ白にされるのだから。

 

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罪を認めないばかりか、自分の罪にも気づかない者だ。主の光に照らされて本当の自分の姿がわかる。赦される事が感謝だ。罪を告白し、主の完全な赦しを受けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係