「モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた・・神の山ホレブにやって来た。すると主の使いが彼に、現れた」出エジプト3:1

モーセは40歳の時に、虐げられている同胞たちを、救おうとして失敗した。そのため命をつけ狙われ、ミデヤンの地に逃亡した。エジプトでの何の不自由もない、裕福で、華やかな王宮生活とは一転、何も無い荒涼たる荒野での遊牧生活となった。王子の地位も名誉も富も何もかも無くし、一介の羊飼いとなった。

 

そこで結婚し、家庭を持った。小さな幸せのもと、かつての栄華も幻のごとく、荒野の羊飼いで人生を終わるかと思えた。そんな頃に、「四十年たったとき」「御使いが・・現れ」。神の時が満ちた時に、主は現れられる。そして御心を告げられる。信仰人生には、主の定めた明確な「時」がある。だからこそ、試練の真っ暗なトンネルの中でも、主を信じ忍耐できる。トンネルは永遠に続かない。トンネルは必ず出る。

 

主の時が満ちた時に、試練は終わる。しかしトンネルの中にいると真っ暗なので、永遠に続くように思えてしまう。暗闇で、まるで出口など無いように感じる。しかしそうではない。「私の時は御手の中にあります」、信仰人生における、私たちの「時」は、偶然の中にあるのでなく、主の御手の中だ。

 

又「主がなさったことの結末」の通り試練には結末がある。終わりがある。あなたは今、真っ暗な試みの中にいるだろうか。耐えられない試練は一つとしてなく、脱出の道があり、結末がある事を覚えよう。時が満ちたなら、主がご自身の御心を現される。「四十年たった時」だ。主の時を待とう。

 

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試練は必ず来るが、その時にまずパニックになってしまうだろうか。試練のトンネルの中は、真っ暗なので、この事態が終わりがなく、永遠に続くように感じてしまう。しかし試練には結末があり、神の時に試練は終わる。超えられない試練は無い。神を信じていよう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係