「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」マタイ14:27

心配性で、不安と思い煩いに悩まされている人は多い。ああなったら、こうなったらと、先に起こるかも知れない事を想像して、不安になり落ち込む。不安材料をかき集め、まるで現実であるかのごとくに、最悪のシナリオが出来上がる。しかしそれはどこまでも想像であり妄想だ。現実に起こっていないのだから、主も、そんな架空のものをどうにも出来ない。

 

思い煩いを選択している自分の問題だ。明日の事は、先の事は、私たちにはいっさいわからない。誰にも何一つわからず、見えない。しかし、神を信じる私達は、明日に恐れと不安を見るのでなく、神の愛を見る。弟子たちが湖上で嵐に会い、パニックになり、恐れと不安の中にいた時に、主が湖の上を歩いて、弟子たちのもとに来て下さった。

 

しかし、弟子たちは、大嵐の恐怖の中で、向こうからくるのを「幽霊だ」と怯えた。だが主は「しっかりしなさい。わたしだ。恐れるとはない」とご自身を現わされた。幽霊だと思ったものが、実は主でった。私たちも同様だ。人生の向こうからやってものが、恐い、不安でたまらない幽霊に見える。しかしそれは愛に満ちた、主だ。

 

明日は主の愛に包まれ、主のご計画の中にあり、主の御手に堅く握られている。見えない明日に、主の愛を信じる、これが信仰だ。明日に、主の愛を信じて歩む時に、思い煩いや不安の亡霊に惑わされない。

 

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心配症だろうか。何かあると、すぐに、ああでもない、こうでもないと、思い煩ってしまうだろうか。この先の事も不安で一杯だろうか。「わたしだ」と主が目の前に。「恐れるな」と。このまま素直に信じたなら、不安は平安と喜びに変わってしまう。祈りにより受け取ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係