「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり」エレ ミヤ29:11

ある人に子供が生まれ、障がいと難病が発覚した。パニックで、涙、涙で「なぜ? どうして?」「どうして私に?」「これが御心ですか?」「これからどうすれば」の悶々の日々だった。涙ながらに、主に叫び祈って行った。祈りの中で、主は、時間をかけながら少しずつ、現実を受け入れられるようにさせて下さった。

 

やがて子供と関わるにつれ、自分が励まされ、力づけられ、喜びを与えられている事に気づかされた。「不幸」「かわいそう」が、世の価値観だ。しかし主の目から見ればどんなに尊く、愛され、慈しまれているかを感じつつ、自分の肉の目でなく、主がどう見ておられるかに目が向いて行った。

 

この世界では不自由であるし、実際生きて行く上で、様々な苦しみや悲しみがある。しかし、神は公平な方であり、総決算は天に帰ってからであり、その永遠に目を向けながら、今の時を生きるよう、心が変えられ、導かれて行った。そして、主に間違いはなく、何らの特別なご計画があると、受け入れられるようにされた。そうできた事自体が主のあわれみであり、みわざだった。

 

私たちもどうだろう。今までの進路の選択にも、一つ一つの指針、導きを与えられ、後で振り返ると、確かにこれで良かったと、確信と平安を与えられる。思い煩う必要が無かったのだと、何度も繰り返し経験させられて来た。そうであれば今回も、必ず守り導いて下さると信じる事ができた。何より自分自身が主に愛され、絶えず目を留めて下さり、成長させて下さっている事に気づけた。主に間違いは無い。主を信頼していよう。

 

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現実にある困難や問題は深刻でも、全ては神からのもの、神に対しては望みを持つことができる。いずれは益と遠くに望みをつなぐだけでなく、一日、一日を越えてゆく忍耐も慰めも喜びも神は与えて歩ませてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係