「イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた」マタイ4:1

悪魔は、40日の断食を終えた主への誘惑で、石をパンに変えるようにと。しかし主は、自分の思いと力で石をパンに変えるのではなく、神の言葉によって生きるという事で立ち向かわれた。すると、次は悪魔も、それに乗っ取って攻撃して来た。「では、神殿の頂から下に身を投げても、神が御使いに命じて支えて下さると書いてあるではないか」と。

 

御言葉を自分に都合良く勝手に解釈する誘惑だ。これに対しても、主は、同じく御言葉を用い「神を試みてはならない」と退けられた。詩篇91:11,12からの言葉だが、比べると「すべての道で」が抜けている。ここで言っている事は、主の御旨に従い、御心の中にいるなら守られるとの意味だ。わがままな自分勝手な事をして守られるのでは無い。

 

悪魔は聖書を読む時に、私たちを誘惑して、自分に都合の良い解釈をさせようとする。つまり御言葉を使って、自分の思いを正当化させうとするのだ。それが御言葉なので気づかない。実はそれは主の御心なく自分の思いであり、自分の欲望になる。悪魔の罠だ。自分の思いが強いと、よく気をつけなければ、自分の思いがフィルターとなり、御言葉を読み込んでしまう。

 

そしてそれは、自分の思いと合致しているので全く気づかない。主の御心だと勘違いする。惑わされてしまう。ここにも悪魔が働く事をわきまえ、自分の思いを、まず主に明け渡そう。右でも左でも、白でも黒でも、御心に従いますとの態度に立つ時、正しく導かれる。サタンに足場を与えない。

 

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敵である悪魔がライオンのごとく、食い尽くすべきものを捜し求め獲物を狙っている事を、今日も覚えよう。自分の思いと自分の力に誘惑して来る。そこさえ狙えたら成功だ。自分の思いで動く時、自分の力に頼る時、御霊の気づきが与えられるよう、祈っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係