「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく。あなたがたが悲しんで悔い改めたからです」Ⅱコリント7:9

悲しみにも2種類あり、「神の御心に添った悲しみ」と「世の悲しみ」があると言っている。世の悲しみは、ただその事態を、悲しむべき結果を嘆くだけで終わる。又、まずかった結果が、周囲に対して体裁が悪いので、後悔するばかりだ。しかし結果オーライならそのままだ。そこには、へりくだり、自分を砕いた悔い改めが無いので、必ず同じ失敗を繰り返す事になる。

 

神の御心に添った悲しみは、悲しみの中で、自分のあり方や、今までの自分の人生を振り返る。その時、高慢で自己中心な罪を示され、心砕かれ、悔い改めに導かれる。御霊が働かれる悲しみだ。ある男性が、結婚して自営業を始めた。しかし、なかなか軌道に乗らず、経済的苦境に陥った。妻は夫と共に働きに働いた。

 

仕事は行き詰まり悶々状態の時、妻は育児の上に仕事で、過労で倒れてしまい、入院した。その時、彼はこんな大変な時に倒れた妻を責めたのだ。仕事も家庭もうまく行かず、ガタガタな現状を見た時に、これは自分の姿ではないかとへりくだらされた。神の御前にへりくだった時に、「自己中心」の罪を示された。

 

自分の力を誇り、自分が、自分がと、自分が神になっていた。自分の思い通りに、事を進めて来た高ぶりを示され、悔い改めた。妻にも今までの自己中心を詫びた。仕事も家庭も新たにされ、新しい展開がもたらされた。悲しみは、今までの自分のあり方を顧みる、神からの機会だ。御心に添った悲しみは、必ず結実して行く。

 

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ただ悲しんで後悔するより、赦してくださる主に悔い改めよう。主が失敗を全て負ってくださる。後ろ向きの後悔から、主と共に新しい再生の道を歩める。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係