「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか」箴言20:24

スポーツ選手の大試合やオリンピック、又、入学試験や就職試験はどんなに緊張する事だろう。試合や試験に向けて、一生懸命に努力し準備する。これ以上出来ないほどの準備をしても、その成果がその当日、必ず出るとは限らない。当日の体調や精神状態にもよるし、想定外の状況が起きるかも知れない。

 

オリンピックなど、万全の準備のもとでも、余りの緊張で、本番で失敗してしまう選手も、時々目にする。練習量や、自分の精神力、自分の力だけではどうにもならない事を見せられる。人の歩みは、まさに主によって定められるの通りだ。主と共に歩み、そこに主を認める事のできる私たちは何と幸いだろう。

 

私たちの進路、進学や就職、転勤等、目の前に起こる出来事、状況、それらはすべて主が定められたものだ。それを、主が決められたものと受け取る時、揺るがない平安と確信を持って進める。今後も、主は私たちの手を取って、御心の道へと導いて下さる。その妨げになるのが、自分の肉の思いだ。自分の強い願望、欲望があり、その肉の思いは非常に強い。

 

自分の歩みは、自分で決めたい。誰にも邪魔されたくない。自分のプランがあり、どうしても手放せない。強い自我がある。主は、すでに最善の道を用意しておられる。自分の思いを明け渡す時に、平安な道へと導かれる。目の前の状況を、主からのものと信仰によって受け取り直そう。その時、道をまっすぐにして、心を平安にして導いて下さる。

 

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人生で様々な事が起きる。病気になるし、けがもする。対人関係で悩むし、経済的苦境にも陥る。しかしそれらすべてが主の支配の中と知り、人の歩みが主によって定められることを知る時、何と幸いで平安だろう。理解を超えていると言っている。信仰で歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係