「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです」マタイ13:16

御言葉を聞く事は大切だ。しかしただ聞いておれば良いのではなく、聞き方に注意せよと言われている。イスラエルは皆、モーセから神の言葉を聞いていた。だが、聞いた言葉が信仰によって結び付けられなかった。そのため最後まで神を疑い、心定める事なく、結局、不信仰のために滅ぼされてしまった。

 

モーセは神からの言葉を語った。しかし聞く側に問題があった。「この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからだと。種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。道ばたに落ちた種は土が固く、心に入らず、悪魔が来て持ち去った。先入観や偏見がある時、御言葉が入らない。

 

又、他人事として聞く態度だ。自分の事として聞かないので、通り抜けて心に入らない。傍観者となり、他人事として聞いていないだろうか。聞く態度は非常に大切だ。御言葉は自分への言葉として受け取らない限り、心に入らず、何の益も無い。自分の事として受け取る心こそが、良い地だ。必ず豊かな実を結んで行く。

 

岩の上に落ちた種とは、上部に薄い土があり、その下に岩がある。薄い土があるため芽が出る。喜んで御言葉を聞くのだが、根が無い。根ざして行かない。根を張るのは地中だ。隠れた主との関係が培われていない。人の目には見えない祈りや、地道なデボーションの生活が根だ。

 

茨に落ちた種は外側から伸びた茨にふさがれた。外部から生長が妨げられた。世の事に心が奪われて、主の事がおろそかになってしまう。流されて、信仰の事が二の次に、後回しになってしまう。御言葉の聞き方はどうだろう。省みてみよう。

 

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荒野でイスラエルは皆、モーセを通して神の言葉を聞いたが、約束の地カナンに入れ無かった。御言葉の聞き方を、御霊に探って頂こう。聞いてOKで、終了だろうか。従う事で、豊かな実を結んで行く。今、従うべき事を示されているだろうか。実行しよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係