「みな謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです」Ⅰペテロ5:6

へりくだりと聞くと、「いえいえ、自分などは」「つまらない者です」と下座に座り、自己卑下する事のように思うが、そうではない。単に、人前で腰を低くする事ではない。肉の謙遜は、肉の欲しいままの欲望に対しては、何のききめもないとある。「何も出来ない者です」と言いつつ、心では高ぶっていたりする。

 

ある人が、主に仕える者としての訓練を受けるために、神学校に入った。その時に、自分はこの中で一番謙遜な者になろうと目指した。謙遜のナンバーワンになろうと。パリサイ人の謙遜は人前であり、人を意識して、人に見せるためであった。私たちの謙遜は、主に対してであり「神の力強い御手の下に」へりくだる事だ。

 

へりくだるとは、自分の思いを捨てて、自分を捨てて、主の御心に「はい」と言う事だ。自分が強ければ、従えないし、自分の思いを通して行く。今、主のみ思いと、自分の思いの間で選択を迫られているだろうか。神の力強い御手の下に、へりくだれるよう祈ろう。主の御心を「はい」と、選び取って行けるよう祈ろう。へりくだる者に、主の約束がある。

 

へりくだるなら、「神が、ちょうど良い時に、高くしてくださる」と。自分で高くなるのでなく、主が高くして下さる。主はへりくだる者に恵みを与え、良きもので満たして下さる。水は低い方へ、低い方へと流れる。恵みはへりくだる者へ、へりくだる者へと、流れ込んで行く。

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わかっているようで、なかなか自分から抜け出せず、自分で、自分でと何処までも傲慢だ。それにさえ気づかない者だが、主は決して見放さず、取り扱ってくださる。はいと素直に従うだけだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係