「しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った・・それに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした」ヨナ1:3

ある若いクリスチャンが、ある時、多忙な母親を助けるよう、御霊の促しを受けた。母親は仕事と家事をし、その日は来客の準備もあり、目の回るような忙しさだった。御霊の導きを感じるのだが、面倒で、したくない。自分の好きな事に時間を使いたい。手伝った方が良いと思うが、したくない思いとで、もやもやする。だが肉が勝ってしまい、したい事があり、自転車で家を出た。

 

すると少し出たところで、何とパンクしたのだ。はっきりと主の御手を感じた。主が止められ、御心へと返して下さった。家に戻り、母親を手伝った。心は平安で、喜びがあり、主の関与に感謝した。母親はことさらに喜んでくれ、感謝され、証しとして用いられた。従えなかった者に、なおも手を延べ、導いて下さった主の愛に触れた。

 

悔い改めて祈った時に、「従うことを知っていたよ」と言って下さった気がして、あわれみの主も感じた。ヨナが、主から、ニネベに行き、宣教せよとの命令を受けた時に、敵国に宣教したくなかった。行きたくなかった。それでヨナは「主の御顔を避けて」逃れようと、別方向の船に乗った。

 

すると難波しそうなほどの大嵐が起き、ヨナは海に投げ込まれ、大きな魚に飲み込まれ、その中で祈り・・紆余曲折の中で、結局ニネベに行く事になる。肉は、主の御顔を避けて、自分の思い通りに歩みたい。しかし、御心をそれた者をも、なおも愛し、導き返される。この主に従えるよう祈ろう。

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面倒なことや煩わしいことは上手に逃げてしまう者だ。それでもなお、主は私たちに期待し、追いかけてくださる。主の呼びかけに当事者意識をもって応えよう。主のご愛に応えよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係