「あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」 マタイ6:4

主は、人前で善行をするなと言われ、右手のしている事を左手に知られないようにと言われた。施しは隠れているように。自分の善行を人に知られてはならないと。なぜなら、天での報いが受けられないからと。だが同時に、あなたの光を人々の前に輝かせ、人々があなたの良い行いを見て、天の父を崇めるようにせよと言われた。

 

一見、矛盾するように見えるが、これは動機がどうかだ。自分が誉れを受け、自分の栄光のために、自分を喜ばせるために、しているのか。それとも主の栄光のため、主を喜ばせるためにしているのか。自分の利得のための善行なら偽善という事になる。主はパリサイ人の偽善を、人の前で自分を正しいとする者だと言われた。

 

しかし神は、心をご存じで、人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、嫌われると。人の前で、人の賞賛を求めて生きるのでなく、主の御前で、絶えず主の目を意識して生きるようにと言われている。目に見えるこの世は、凄まじい影響力があり、目に見えない神よりも、目に見えるところで生きてしまう。

 

見えない神の愛より、目に見える人の愛や、人からの評価を求めてしまう。肉の性質があり、サタンの強い誘惑がある。目に見えない神を信じて生きる事は、信仰によるのであり、御霊の助けによる。しかし、そこには主からの豊かな報いがあり、真の喜びと平安を経験して行く。

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人から良く思われるためにする行為は疲れて終わる。神からの報いを第一に求めていこう。今、十分に報われなくても、神が全てをご存じだ。神の喜ばれることに焦点をあてよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係