「ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で、私に奇しい恵みを施されました」詩篇31:21

主の奇しい恵みを受けるのは、包囲された中とある。つまり絶対的な窮地が、奇跡を見る機会であり、真に主に出会う機会だと。四方八方ふさがり、追い詰められてどうにもならない中で、人のわざではない、主のみわざを見せられ、経験して行く。そうであれば、逆に窮地は素晴らしい恵みであり、真に主を経験する機会となるのではないか。

 

出エジプトを果たしたモーセと民も、この窮地を、絶体絶命を経験した。後ろは敵軍の追っ手に、前は紅海。前進も後退も出来ず、民が恐怖で叫ぶ。その中、祈っていたモーセに、主は「前進せよ」と言われた。その言葉通りに従うと、海のまっただ中に道ができた。奇しい恵みが施された。又、ヨシュアに導かれた民のヨルダン徒渉も、絶体絶命の中だった。

 

春先で、雪解けの水が川岸いっぱいに溢れる中、橋も船も無い。その中、主の言葉通りに従い、祭司たちが契約の箱を持ち、ヨルダン川に入り、足が浸った時に、川の水はせきをなして立ち、見事に水はせき止められた。民は全員、安全にヨルダン川を渡りきった。カナンに入った後、目の前にそびえ立つ、エリコの城壁を前にした時もそうだった。

 

城門は堅く閉じられ、誰一人出入り出来なかった。なすすべの無い窮地だ。主は不思議な方法を告げられ、言われたその通りに従った時に、城壁は崩れ落ちた。窮地は、主の好機だ。そこでこそ、主のみわざが現される。よく耳を澄まし、主の御声に耳を傾けよう。そして示された通りに従おう。

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困難は避けて通りたい者だが、進退窮まる状態で始めて主にすがりつく。前進せよの声に従おう。この状況の背後に主がおられる。主の栄光を拝し、主を見上げて歩む者に成長させられる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係