「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」Ⅱコリント5:7

私たちの日常を振り返る時、どうだろう。目に見えるものに、大きく影響されていないだろうか。見えるものには、甚大な影響力がある。突如の事態が起きると、目に見える状況に飲み込まれてしまう。そして主が飛んでしい、すぐに主の約束から目が離れてしまう。病気、けが、経済的苦境、つらい対人関係、仕事上の悩み・・目の前の問題で、不安と思い煩いでいっぱいになる。

 

問題ばかりが大きく見えて、目には見えない、主と御言葉が見えなくなる。又、心からの願いである、家族や親族の救いはどうだろう。いつの日か、あり得るのだろうかと疑ってしまう。そんな時こそ、目に見える状況でなく、主の語られる御声に耳を傾けよう。祈りの中で、御言葉を聞く中で、主と交わる時に、語りかけて下さる。そして励まして下さる。

 

アブラハムは「サラによってひとりの男の子を与える」との言葉を受けた。だが、自分はもう100歳であり、サラも90歳で子どもを産めない胎になっていた。そのため、ハガルが産んだイシマエルが、御前で生きながらえますようにと言うと、「いや。あなたの妻サラが、男の子を産む」と。その時、アブラハムは、目の前の状況と全く相反する主の約束を受けた。常識でもあり得ない事だ。

 

彼は、肉の目には見えない、主の約束の方を信じる事を選択した。そして感謝する事を選んだ。そして不信仰により、主の約束を疑う事をしなかった。信仰がますます強くなり、主に栄光を帰し、主は束を成就される事を堅く信じた。するとその通りに成就した。主の言葉は永遠に立つ。御言葉の方を信じ、握っておれるよう祈ろう。

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頭ではわかっていても、目の前の状況に反応し心はすぐに動揺して不安になる。けれど祈りによって励まされ、御霊を通して慰められる。だから私たちはいつも心強い。御約束を握って待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係