「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう」詩編39:1

この詩編記者は、病にあり、大変な苦しみの中で「なぜですか、なぜこんな目に会うのか」との不満が、うっ積していた。しかし、舌で罪を犯してはいけないと、口に口輪をはめたと。だが、我慢して黙していると、ストレスがますます高じて内攻し、まさに爆発しそうだった。

 

それを彼は人にではなく、主にぶつけた。心の中の本音を吐き出し気持ちをことごとく主に告げた。人は幻のように歩き回り、人生ははかなく虚しいと。心の内をことごとく、主に向かって吐き出した時に、信仰が帰って来たのだ。この虚しい人生で、望みをかけられるのは何かと、「今、私は何を待ち望みましょう」と見上げた時に、主を見いだした。

 

「私の望み、それはあなたです」と。そして、本音を主に何もかも告げた後に、「私は黙し、口を開きません」と言った。言葉は同じ、「口を開かない」だが、意味が全く違う。最初は口輪をはめ、押し黙り、非常なストレスに陥ったが、その後は、「あなたがそうなさった」と、主がそうされたので、口を閉ざした。すべてに主の計画がある事を認め、目の前の事態に主を認めて、それを受け入れた。そしてすべてを主に委ねたのだ。

 

その時、我慢のうっ屈状態でなく、平安に支配された。心が平安に満ちる。私たちも、苦しみの中で、本音をことごとく主に告げて、祈ろう。それをして初めて、主のご計画を認め、受け入れる事が出来る。そして状況とは関係なく、心に主からの平安を経験して行く。

 

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受け入れられないような事態が起きた時、まず主に心の思いを、気持ちを、感情を告げて祈ろう。祈って行く時に、心が落ちついて来て、主にはご計画があると信じる事ができるようにされる。そして心が平安にされる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係