「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」ヤコ ブ4:6

御言葉は、よくへりくだりについて言っている。へりくだりは自己卑下ではない。自分の事を「いえいえ私などは」と、とにかく卑下すればよいのではない。それが謙遜なのではない。「ことさらに自己卑下をしようとし・・肉の思いによっていたずらに誇り」と、自己卑下とは肉の誇りとあり、実際は人の前を意識した、人へのアピールであり、自分のためなので、根は高ぶりになる。

 

謙遜を誇ることになってしまう。ある人が、自分は、誰よりも謙遜になろうと思ったが、それこそ高ぶりだと示されたと。単に腰を低くする事ではない。外側、柔和な物腰で、心では全く違ったりする。パリサイ人は、祈ることも断食することも、人に施すことも、すべては人に見せるためであり、自分のためであった。

 

へりくだりとは、自らの本当の姿を認める事だ。逃げないで、ふたをしないで、正面から向き合い認めること。自分の肉の性質、古い生まれつきの性質は、まさにパリサイ人そのものだ。古い性質が、今もあるのだが、しかし、主は新しい性質を与えて下さっている。主を喜び、主に従おうとする性質だ。

 

へりくだりとは、自分の思いに従うのでなく、御霊の導きに従うこと、どんな場合にも「はい」と従って行くことだ。「私を強くして下さる方によって、どんなことでもできるのです」。自分にはできないが、御霊の助けによって「どんなことでも」できると言っている。祈りをもって、主を信頼して従って行こう。今、示されている事に「はい」と言う事がへりくだりだ。従おうとする時に、主の力と主の助けが臨む。

 

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自分の思いを捨てて、主の御声に従い、御心を行って行くことがへりくだりだと言っている。強い自分の思いに気づくことから始まる。しばしば主を頼らず、主を認めず、自分で行おうとしてしまう。行く所どこにおいても、主を認めて行けるよう祈ろう。

 

h発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係