「そして、ヨアブは民の登録人数をダビデに報告した。全イスラエルには剣を使う者が百十万人、ユダには剣を使う者が四十七万人であった」Ⅰ歴代21:5

ダビデはサタンに誘惑され、その誘惑に負けて人口調査の罪を犯してしまった。「サタンが、ダビデを誘い込んで」とあり、単なる国勢調査をしたのではない。国内の人口を調べる事は悪くない。なぜ罪となったのか。それは、兵力を、軍事力を調べるためのものであった。つまり主の恵みと主の力に拠り頼むのではなく、自分の力、自分の兵力により組織し、戦いを進める事であった。

 

ダビデが「大きな罪を犯した」と言ったように、それは重大な罪であった。ヨアブは神に対する罪と悟り、ダビデに進言し、人口調査を思いとどまらせようとした。しかしダビデの思いは強く、ヨアブを退けて、強行して行く。人の計算や、軍事力を使って行くなら、神無しで歩む事であり。信仰は必要無くなる。

 

ダビデの心の奥に潜む、自分はどれほどの力があるのかとの思いがあり、それを兵力で量ろうとする。そこに自力に頼む野心があり、自分を誇る高慢があった。サタンの誘惑の根本は、主が王なのか、自分が王なのかという事だった。アダムとエバに、エデンの園で、サタンの誘惑が臨んだ。

 

その真の問題点は「それを食べると、あなたが神のようになり」だった。自分は神になれるのだと。つまり主に従うのではなく、自分が主となり、自分の思い通りに、自分の好きなように生きて行けるのだと。私たちにも常にこのサタンの誘惑、攻撃が来ている。肉は自分の思い通りに生きたい。そこにサタンが乗じてくる。主を仰いで、絶えず助けを求めよう。主を王として従えるよう祈ろう。

 

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救われた後も、古い性質があり、肉はどこまでも自分の栄光が欲しい。そこにサタンは巧みに誘惑して来る。祈りにより、御霊の気づきが与えられる。祈っていよう。心の王座に自分が座るのでなく、主に明け渡して行けるよう祈ろう。そこに一番の平安と喜びがある。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係