「それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った『いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません』」Ⅰサムエル8:19

イスラエルの国は、主により治められていた。しかし民は、他国のように、自分たちにも人間の王が欲しいと求めた。サムエルはもう老齢で、息子たちは利得とわいろでひどい状態だ。敵の攻撃にも、王がいれば自分たちを守り、戦ってくれる。そのため他国のように、自分たちも王が欲しいと。サムエルは気に入らなかったが、祈りに持って行った。

 

私たちも不都合な、気に入らない事柄が起きた時、サムエルのごとく、まず祈りに持って行く事が大切だ。主は、民が、人間の王を欲した時に、「彼らを治めているこのわたしを退けた」と。そして、王の権利を知らせよと言われ、サムエルは、ことごとく民にどんな犠牲があるかを知らせた。

 

息子は戦いに取られ、娘たちは働かされ、畑は取り上げられ、自分の家来たちに与えられる・・そして苦しくて主に求めても、その日、主は答えて下さらないと。しかし、それでもなお、民はどうしても王が欲しいと言い張った。主は彼らに一人の王を立てよと答えられた。人間が、主の警告を聞かずに、どうしても欲しいと主張し続けるなら、主は与えられる。

 

しかし願いが叶えられた結果、やせ衰え、虚しくなると。「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた」。自分の欲望を通して虚しくなるのでなく、私たちを愛し、慈しみ、最善をして下さる主に従う方が、どんなに良いだろう。それこそが真に満足できる、喜びと平安の道だ。

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せっかく与えられた主からの答えが後々、悔い改めに導かれるものな悲しい。主の御心の中を歩むことが幸せだ。主の最善を求めて祈りたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係