「私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか」ミカ6:6

若い時に、主を信じたある女性。主に献げて、信仰生活を送っている中で、宣教師としての働きに導かれていると、感じ始め、それは強いものとなって行った。しかし、どうしても決心がつかず、従えずに、結局、主の招きに応じることが出来なかった。やがて、時を経て結婚した。子供が生まれ、夫の親の介護も必要となった。

 

家事と育児と介護に追われ、目まぐるしい日々に、心身疲労こんぱいだった。つらくて限界も感じ、疲れ果てていた。心にぬぐう事の出来ない挫折感、どうにもならない虚しさに襲われた。あの時、従わなかったとがめで、今のつらく重い生活が、何か罰のように感じられるのだった。苦しくてどうにもたまらなくなり、主の御前に出た。

 

若い時に従えなかった事、ひきずっている事、今の重すぎる苦しい状況、つらい事、虚しい事、何もかもを主に打ち明け、吐き出し、心を注ぎ出して祈った。主は語って下さった。「何が良いことなのか。主はあなたに何を求めておられるのか。公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、主と共に歩むこと」なのだと。

 

今の場で、誠実に主と共に歩めと語られた。宣教師になるのでなく、主と家族に仕えて行く事を、主は望んでおられ、喜ばれる事の確信が来た。安堵と平安が広がり、喜びが来た。新たにされ、今の主の御心の場に帰れた。若い時の後悔が、心に重く影を落としていた事に気づかされた。

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自分の今の状態、引きずっている古い問題など、自己吟味を迫られる時がある。主の御心はどこにあるのだろう。ただ主は心の痛んだ者、弱い者の傍に立たれれている。へりくだり主と共に歩むだけだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係