「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」 ピリピ4:4

楽しいハッピーな時は、誰でも喜べる。受験合格、入賞や祝い事、昇進、大好きな趣味、楽しいイベント・・しかし、ここで言う「喜びなさい」というのは、単なるハピーな出来事による、ハッピーな気分なのではない。それなら、楽しい喜ばしい事柄があれば、喜べるが、「いつも」喜ぶ事など不可能だ。有り得ない。

 

感情は状況によりコロコロ変わる。嫌な事があれば、暗くなり、心はふさぎ、落ち込み沈む。又、人から批判攻撃されると、怒りが湧き、敵対心や復讐心で悶々状態だ。又、不合格や病気や離別、悲しい状況に遭遇する事もある。涙が溢れ出る。感情は、状況によって激しくアップダウンする。厳しい状況の中で、喜んでなどいられない。

 

しかしここでは「状況にあって」喜べではなく、「主にあって」喜べと言っている。喜べない時は、何を見ているだろうか。目の前の状況や人や自分を見ている。目に見えるところを見ている。その目を、そこから離して、主の方に向けよう。その主は、常に共におられ、弱い、ありのままの私を受け入れ、何があっても決して変わる事のない愛で愛し、慈しんで下さっている。

 

痛い、つらい事があるが、無駄な事は一つもなく、主に行き当たりばったりは無く、綿密なご計画を持たれ、私の益のために与えて下さっている。砕き、訓練し、整え、成長させて下さるためだ。主には、しようとする事があり、最善をして下さる。だから「主にあって」感謝できるし、喜べる。

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いつも主にあって喜びなさいの御言葉は力だ。つらい中にあっても主を覚え、落ち込まず不思議に上を向ける。主の最善の摂理を信じ主には目的があると知っているからだ。喜んでいよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係