「主よ。あなたの道を私に教えてください・・私を平らな小道に導いてください」詩篇27:11

「主のみわざに目を留めよ。主が曲げたものを、誰が真っ直ぐにできよう」との言葉があるが、時に、私たちは、主が曲げたものとわからず、真っ直ぐにしようと、何と戦う事だろう。しばしば、思い通りに行きたいのだが、どうやっても思い通りにならない状況がある。又、対人関係で、思い通りでない相手に手を焼き、相手を変えよう、変えようと戦う。

 

何とか相手を変えようと骨を折るのだが、相手は全く変わらない。一人で悪戦苦闘して、もはや力尽きてしまう。どうにもならずに、主にギブアップだ。その時に、主が立ちはだかっておられた事に目が開かれる。主がその状況に、そのようにしておられるなら、受け入れようとの姿勢に変えられる。受け入れた時に、状況は同じなのに、心に平安が臨む。

 

あれだけ苦しい戦いをした心に何にも代えられない深い平安が支配する。今、悪戦苦闘を続けていて、どうやっても道が開かれず、疲れ果てているだろうか。目の前の状況から、目を上に向けて、主を仰ごう。そこに主を認めて行く時に、あらがい続けた状況が違って見えて来る。もし、主が道を閉ざしておられるなら、その事を受け入れよう。

 

その時に、予想だにしなかった別の道が開かれて行く。そして、自身の内側も照らされて、動機や内側にあるものに気づかされて行く。主は、常に導きの主であり、平安の道へと導かれて行く。

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叶えられない祈りと格闘する中で、私にはこちらの方が良いとしか思えないのですと主に叫び、尋ねてみよう。一歩一歩導き、主が教えてくださる。新しい主の道を発見したい。新しく主を知りたい。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係