「主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は世々に至る」 詩篇33:10

ある人が、自分の自由になる時間に、習い事をしたくて、教室に申し込んだ。高い入学金と前期分は前納との決まりで払い込んだ。楽しみで、わくわくしていた。するとそこに丁度、空き待ちで申し込んでいた仕事が来て、曜日や時間がピッタリ重なり、習い事は取り止めになった。すぐ費用の返却を問い合わせると、規約にあるように、いっさい無しとの事。一度も通わないまま、大金も消えた。

 

大きなショックだったが、「あ!」と、気づいた。祈らないでした事だった。いつも主と共に、主と相談しながら、祈りながら歩む事をずっと祈っていた。それが、主を仰がず、祈らず、自分の思いで、自分のしたいように動いてしまった事に気づかされた。主が取り扱って下さった事が、むしろ嬉しかった。主の愛を感じ感謝した。

 

金銭的犠牲を払ったが、学びとされ、霊的な恵みを得て、主を近く感じ、心は平安だった。別の人は、楽しみにしていた海外旅行を何度も計画したが、その度に急な仕事や、はずせない用が入った。次々と予約するのだが、ことごとくキャンセルになった。目の前で、全く道が閉ざされるのだ。どんなにか楽しみで、がっかりしそうだが、しかし不思議に、心は平安だった。

 

主の御心が成っていて、一番良い時に与えて下さると、信じれたので、心は穏やかだった。その事が自分にとっては、主のみわざだった。自分の計画でなく、主のご計画に目を向ける時に、心が平安に守られる。

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主の導きだと気づかされるのは感謝だ。不自由さを覚えるより、新しい意欲と希望がわいてくる。御心の真ん中に戻っておいで、との御父の愛に包まれるからだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係