「わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り・・言ったのに、彼らは聞かず」エレミヤ 44:4

エレミヤのもとに来て、民は、主に聞き従うからと、歩むべき道を教えて欲しいと、尋ね求めた。それでエレミヤは「ユダにとどまるなら、あなたがたを救い出す」との主の言葉を告げた。しかし、彼らの思いは決まっていて、エジプトへ行く事だった。エジプトへ行きたかったのだ。そしてやはり、主の言葉には従わなかった。

 

結局、彼らは自分たちのの思いがあり、すでに決定した事柄である、エジプト行きの承認と保証が欲しかった。承認して欲しくて、主の言葉を求めたのであった。私たちも自分の計画のお墨付きをもらうために、都合の良い言葉を求める。結局、彼らは主の御声に従う気はなく、自分の思いを通して、エジプトへ下って行った。

 

主に従わず、主に逆らい、不信仰へと突き進んで行ったのだった。「平安がないのに、『平安だ』『平安だ』と言う」偽預言者が聖書に出て来る。自分に甘く、自分の思いを遂げさせてくれる、それは非常に心地良く、都合の良い言葉を選んで行く、私たちの内の肉に要注意だ。

 

主の御声は、時に厳しく、非常に痛いかも知れない。自分の思いとも異なるかも知れない。主の道は私たちの道より高く、主の思いは私たちの思いよりも高い。しかし、主の愛は、本当の愛、真実な愛だ。真に私たちのことを考え、最善を計り、義の道へ導かれる。そゆえ、罪から守られ、間違いを矯正され、信仰に前進させ、聖めてられる。見せかけでない、真の喜びと平安へと導かれる。

 

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自分の強い思いが、自我が、御言葉を聞く事を妨げてしまう。しかし間違いを矯正し、御心の道へと導いて下さる、こんな真実

な愛はどこにも無い。「私たちは真実でなくても、彼は常に真である」。耳を傾け、この真実な愛に応答して行こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係