「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです」ルカ17:19 

当時、らい病は隔離されて、汚れた病気と扱われていた。人々に接近禁止で、「私は汚れた者です」と自分で言わなくてはならなかった。非常につらい境遇であった。苦しい身体的病の上に、更に社会生活も閉ざされ、精神的な苦痛も受けていた。10人のらい病人が、主のもとへ来たのは、必死な思いであったろう。

 

声を張り上げて「どうぞ、あわれんで下さい」と叫んだ。病気が完治し、社会に復帰できて、自由に社会生活が送れる。生けるしかばねのようであった彼らから見れば、何と夢のような事だろう。主はあわれみ、彼らを癒やされた。すると10人の内、1人だけ主のもとへ戻り、あとの9人は去ったままで、帰って来なかった。

 

9人は、何と驚くべき幸運、ラッキー、万々歳と、世の中へ帰ってしまった。彼らにとっては、飛び切りのラッキーであり、全く偶然の出来事であった。そこに神は存在しない。感謝するために戻った1人は、神への感謝と賛美と喜びで一杯だった。そこに神を認め、神を崇めたのだった。

 

彼だけに、全く新しい信仰の人生が始まった。「あなたの信仰が、あなたを治した」と。彼は主に出会い、主の愛を知り、その主の愛の中を生きて行く人生が始まった。何が肝要なのだろう。病気が治る事だろうか。確かに病気が治る事は嬉しい。しかし、また病気になる。

 

更に素晴らしい人生がある。「世の終わりまでいつもあなたと共にいる」と、愛なる方との共なる人生へと招かれている。いつも救いがあり、苦しみも喜びの中も、どんな時も、愛して下さっている主と共に、生きて行けるとは何と喜びだろう。

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心がいつも主の愛に満たされているなら、たとえ困難に出会ってもそこに最善を見出す事ができる。結果がラッキーでも主を認められないなら本当に空しい。主に出会えて、主と歩めることに感謝だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係