「そこでイエスは彼らに『さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。』と言われた」マルコ6:31

主のもとには、絶えず群衆が押し寄せていた。教えを聞こうとする人々、病気のいやしを求める人々、孤独で寂しく、慰めを求める人々、五つのパンと二匹の魚の奇跡の時には、男だけで五千人、女子供だと一万人以上だろうか。主は、四六時中、群衆に囲まれていた。

 

それも毎日のことであり、悪霊との戦い、病気のいやし、どんなに霊的な力を使われ、心身消耗された事だろう。「向こう岸に渡ろう」と舟に乗られた途端、嵐の中も熟睡された事を見ても明らかだ。そんな目まぐるしい日常の中で、主は、よく寂しい所に退かれた。群衆や弟子たちからも離れ、御父と交わられた。どんなに疲労された次の朝も「朝早くまだ暗い内に起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」。

 

主は、よく祈られた。御父との交わりが、主の力の源であった。「わたしは自分からは何事も行うことができない。聞くとおり

に・・」「わたしは自分から話したのではない」「父ご自身が、を言い、何を話すべきかをお命じになった」絶えず交わり、御父から導きを受けておられた。

 

弟子たちも、絶えず群衆に囲まれていた。その弟子たちにも、独りの時間を持ち、休むようにと。身体を休めると同時に、主と交わり、霊を新たにされるようにと。私たちも喧噪の日々だろうか。仕事は山積みで、へとへとに疲れ果てているだろうか。しばし仕事から、人から離れて、身体を休めて、主と交わるようにと、主が語っておられる。主の御声に従おう。心身共にリフレッシュされる。

 

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これは主と共に休息することが大切だ。主を忘れて、行楽に走るのではなく、行楽も主と共に。主と休むのは、ゆったりとした時間の中で、主とゆっくりと交わるためだ。これは極めて大事だ。その中で様々な気づきや、起きている事柄の意味が説き明かされたりする。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係