「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください」マタイ22:4

王子の披露宴のために、王は客たちを招待した。しもべたちはその客を呼びに行った。用意万端、すべてが整ったので、さあどうぞと。招待された客はイスラエルであり、王のしもべは預言者たちだ。キリストの救いにより、神の豊かな祝福を受けるようにと、何もかも整えられていた。しかし彼らはその招待を気にもかけず、無視した。畑に、商売にと出て行った。

 

畑仕事や商売は、大切な披露宴の後でもできる事だ。主は救いのために、何もかも整えられたのに、不要と拒否した。これはイスラエルだけでなく、私たちも同様だろうか。日々の生活はどうだろう。仕事や勉強で多忙、家事や子育てで暇が無い、趣味に忙しい。いつも主のための時間がない。しかし、主のための時間が無いのでなく、何を優先するかの結果だ。このままなら、今後も主のための時間はない。

 

主はあなたを創造され、あなたには、主からの尊い使命があり、特別な御心がある。今の場所に遣わされたのは、主だ。偶然でも、たまたまでもない。主のご計画の一環だ。あなたの境遇、使命、あなたの将来を「さあ、用意ができた」「何もかも整った。宴会にどうぞ」と、まず救いを用意し、そして最善の人生を用意して下さっている。日々に喜びと祝福が備えられている。 「ところが、彼らは気にもかけず」主をないがしろにし、自分の思いで過ごしているだろうか。主は、主のもとへと、主との交わりへと、あなたを呼び、招待しておられる。どうだろう。少しでも、主ための時間を取れるだろうか。主に応えて行こう。

-----------

信仰が無いわけではないが、昨日のまま習慣化されている今日を歩んでしまう。最善の人生に招かれた当事者として、喜びを自分のものとして味わおう。そして主のご愛に応えよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係