「あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ」出エジプト14:16

モーセに導かれて、出エジプトを果たしたイスラエルの民だが、すぐにエジプト軍の精鋭部隊の追っ手に迫られる。民は皆、恐怖で怯えた。人々は戦いの訓練など全く受けていない。戦い方も知らない。追っ手はどんどん迫り、とうとう背後にまで来た。そし目の前は紅海だ。前進か後退が出来ればよいのだが、前にも進めず、戻る事もできず、まさに絶体絶命であり、絶望的状況だ。

 

民は、非常に恐れて主に向かって叫び、モーセに文句をぶつけた。エジプトにおれば良かった、なぜ連れ出したのかと。その時に主が語られた。恐れるな、しっかり立って、主の救いを見よと。主が戦われるから、黙っていよ。その場にいた彼らは、海が分かれて道が出来るなど、そんな事は想像だに出来なかったろう。

 

しかし主は、恐れるな、主が戦うと。その時にモーセに「イスラエル人に前進するように言え」と御声が臨んだ。「前進せよ」と。海を分けて、イスラエル人に、海の真中の乾いた地を進み行かせよと。私たちは、道が見えたなら、前進しようと思う。しかし逆だ。まず、前進せよと言われた。その時、道が造られているからと。

 

多くの人が経験する。先は何も見えず、何もわからないが、主の示しの通りに、「一歩」を踏み出すと、必ず道が備えられていたと。今、「前進せよ」と言われているだろうか。一歩踏み出した時に、主の助けを経験する。主の真実を知り、主の栄光を拝し、主を知る喜びに満ちる。

 

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祈りを重ねた後、主の導きがわかっていながら、ちゅうちょしたり、ぐずぐずしているだろうか。主は「前進せよ」と。御心を実行せよと。すべての必要は備えられていて、道なき所にも、道が造られることを経験できる幸い。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係