「あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた・・わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために」イザヤ37:21

ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王のセナケリブが、ユダの町々を攻め取った。王はラブシャケを送り、ヒゼキヤ王と人々に脅しをかける。大軍を伴い、強大な軍隊を誇示し、挑んで来る。「ヒゼキヤ王は、主が救うというが、ヒゼキヤの言う事にだまされるな、信じるな」と信仰を揺るがす。

 

これを聞いたヒゼキヤ王はどうしたのか。ヒゼキヤは衣を裂き、荒布をまとって主の宮へ行き、主に祈りを献げ、イザヤにも祈りを要請した。サタンの私たちへの攻撃も同様だ。私たちに挑み、仕掛けて来る。経済的困難や対人関係の悩み、仕事や様々な問題、信仰ゆえの戦い・・が来る。圧倒的な勢力のこの世を前に、自分たちの無力を見せつけられる。

 

「祈っても無駄だ、何になろう、主を信じてどうなる、しょせん無力だ・・」。主を信じて立たないよう、この世に妥協して生きるように誘惑する。そうすれば楽に生きれる、摩擦も生じず、世の成功も手にできる。サタンだ。このような時に、対抗手段は祈りだ。ヒゼキヤもイザヤも切に祈った。

 

祈りに答え、主は奇跡をされた。何と主の使いが、アッシリヤの軍勢18万5千人を打ち殺したのだ。セナケリブは立ち去った。世に妥協させようと、耳元に来るサタンの誘惑に気づけるように。祈りにより立ち向かおう。そして大事な事は、サタンの背後に、全権を持たれた主の支配があり、サタンも主の御手の中であることを、絶えず見ていよう。

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サタンは巧妙に心の中にやって来て、状況だけを見させる。恐怖に襲われたらすぐに主に祈ろう。サタンに勝利された主がいつも傍にいる。御霊を通して目を開かせてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係