「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます」ヨハネ14:27

主は、十字架にかかられる前に、弟子たちに平安を残すと言われた。しかし普通は、今から死ぬ人が、平安は残せない。叉、親が子に、桁外れの資産を残したとしても、経済的に不安は無いが、心の平安を残す事は出来ない。又、たとえ身体が強健で、何の問題もなく、財産があったとしても、心にぽっかり空いた空虚感、心の虚しさは、誰もどうにも出来ない。

 

金銭ではどうにもならず、解決できる者はいない。私たちが、心の底で求めているものは、「平安」だ。そしてその平安のためには、心の奥底にある、「罪」から来る不安、恐れ、思い煩いが解決される必要がある。

 

ある人には、どうやってもぬぐえない心の傷があった。親から妹を見るよう頼まれていたのに、見ておらず事故で死なせてしまったのだ。親も周囲もカウンセラーも、皆が「あなたのせいではない。事故だったのだ」と言った。しかし幾ら言われても、心の苦しみはどうにもならなかった。

 

教会へ行った時に、生まれて初めての言葉を聞いた「それはあなたの罪です」「しかしキリストはあなたのその罪を負い、十字架で死なれました」と。十字架の意味を知った。はっきりと罪だと指摘され、罪を認める事ができ、その罪が赦された事に、長い間の苦しみとつらさが、大海のような平安に飲み込まれた。

 

誰からも、何からも得られなかった平安を、主が与えて下さった。主だけが、「わたしの平安」と言われるところの、主の平安を与えて下さる。主のもとへ行こう。

 

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平安は、自分で幾ら得ようとしても得られない。不安と恐れが増すばかりだ。「わたしの平安」と言われる、主が与えて下さる平安は、この世には無い平安だ。罪が赦されるから得られる平安で、状況は関係無く、どんな厳しい環境の中でも与えられる平安だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係