「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4

私たちが、就職試験を受ける時はどうだろう。「何が出来るか」「どんな資格を持っているか」「何が得意で、どんな能力があるのか」「秀でたものはあるか」「人が持っていない特技を持っているか」これらが就職試験で問われ、有利になる。

 

もし、「何も出来ません」「あれも、これも出来ません」「資格は何もありません」と言えばどうだろう。この世では、能力のある者、特技を持つ者、出来る者が尊ばれる。しかし、主の目はどうだろう。主は何を見ておられるのだろう。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われる。

 

何が出来るか、出来ないか、何を持つか、持たないかは、いっさい関係が無い。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と。付加価値をつけたあなたでなく、今、そのままのあなたの事を言っておられる。この世の価値観は、良い子が愛され、悪い子は認められない。

 

良い子になれば愛される。私たちも、培われた根深い価値観があり、良い子になれば認められ、受け入れてもらえるのだと思う。そのため、クリスチャンになってからも、愛してもらいたくて、主に認めてもらいたくて、善行を行おうとする。これは全く間違っていて、逆行している。

 

律法の下に身を置く事になり、平安も喜びも失ってしまう。愛をもらうために善行をするのでなく、すでに100%愛されているから、その愛に感謝して、善行をする。これが恵みだ。いつもこの恵みにとどまるようにと。油断をすると律法に陥る。この恵みに目が開かれるよう祈ろう。

 

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主の愛から離れ、恵みのもとから出てしまうと、自分の力で歩み、信仰生活が担い切れない重い荷となる。又、自分の力で出来たとしても、自分を誇り、栄光を自分に帰して行く。ますます主から離れてしまう。主の愛の中にとどまり、主に信頼を向けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係