「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです」使徒27;22

パウロは主からローマ行きを示されていた。ローマで主の証しをするためだった。それが諸事情あり、パウロの思いとは全く異な

る囚人としてであったが、イタリヤ行きの船に乗る事になった。出航したが、途中、風のために進む事ができず、良い港という所に着いた。 

 

パウロは、もう航海は危険だと判断し主張したのだが、百人隊長により、クレテの港へ行き、冬を過ごす事になった。すると何日もの激しい暴風に会い、船はほんろうされた。積み荷を捨て、船具まで捨てた。太陽も星も見えない日々が続き、絶望的であった。身の危険に最後の望みも断たれようとしていた。

 

だがパウロは「命を失う者は一人もない。失われるのは船だけ」と確信に満ちて告げた。主は、信仰人生、失うものは何もないとは言われない。ヤコブも「私も、失うときには、失うのだ」と言った。私たちは信仰生活で、様々失うものがあるだろう。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と。

 

ヨブは、主は与えて下さると同時に、取られるとも証ししている。しかし、失う事はあっても、必ず私たちは御手の中に堅く守られ、信仰の生涯を全うできる。船を失う事があるかもしれないが、信仰人生は堅く守られ、確実に安全な島に打ち上げられることを覚えよう。

 

得る事は嬉しいが、失う事は、嬉しくはなく痛手だ。心痛む。だが振り返る時、あの時、この時の損失、大きな痛手だったが、それにより自分自身が練られきよめられ、成長させられた。今の自分があ。実際に、いろんな形で損失を通るが、思いを遙かに越え祝福に至る。船を失う事はあるかも知れないが、豊かな霊的祝福へと至る。

 

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信仰人生は、決して自分の思い通りではない。思い通りには行かない。しかし主の御心が成し遂げられて行く。パウロが思いとは違って囚人で、しかしローマに到着したように。主に委ね従う時に思い通りではないが、主の思い通りに導かれる。それこそベストだ。 

 

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係