「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから 『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21

神は、御心のままに、あなたがたの内に働いて志を立てさせ、事を行わせて下さる。主が、私たちの心に志を下さると。日常で、私たちは、朝起きてから夜寝るまで、様々な思いが次から次へと浮かぶ。しかし注意すべき事は、すべてが神からのものではないという事だ。

 

サタンからの思いも、どんどん来るし、自分の肉からの思いも湧き上がる。様々な思いが混線している。これこそ御心と思うのだが、主からの思いでは無い事も、しばしば経験する。しかし必ず主からの思いもある。どう判別して行けばよいのだろう。

 

まず何よりも祈りが大切だ。サタンによる霊的な事柄の識別は、祈りによってしかわからない。祈りの中で御霊が働き、御霊が教えて下さる。その心の思いは、御言葉に合致しているか。御言葉に反して導かれる事は決して無い。

 

その際、注意すべき事は、サタンは光の御使いに変装するので、神のかたちをとって来る。主からのものに思えてしまう。非常に紛らわしい。御言葉を違う解釈で持って来たり、御言葉を薄めたり水増ししたりする。少し位大丈夫だと誘惑して来る。又、結果オーライで、結果さえ良ければ、方法、手段は構わないではないかと思わせて来る。

 

目的のために、手段は正当化されるのだと。しかし主は、目的も手段も、動機も正しい事をされる。そこに不正があるなら、主からのものではない。又、主からの志であれば、祈りの中で不安が失せ、平安が与えられ、必ず環境が開かれて行く。

 

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主の御声があり、サタンの声や自分の思いがある。よく祈ろう。よくよく祈りを積んで、志が変わらなければ、主からのものだ。サタンや自分の思いなら変わって行く。又、環境が閉じられて行く。主は導かれるので、必ず従いたい決心がある時に、導きがわかる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係