「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた」士師記7:22 

当時、イスラエルは絶えず侵略を受け、苦しい状況にあった。主はギデオンを立て、民を率いて、諸国と戦わせようとされた。呼びかけに32,000人が集まった。だが、相手は135,000人の大軍で、圧倒的不利で、到底勝ち目はない。しかしその時、主は極めて不思議な事をされた。人間的に考えると有り得ない事だ。

 

何とギデオンに、兵士の数が多過ぎるので、減らすよう命じられたのだ。最後には、たった300人が残された。そしてその300人で戦った結果、ギデオンが大勝利した。勝利は主から来た。この時、主は兵士を減らす理由として「大人数だと自分の手で救ったと、自分を誇るから」と。

 

この戦いの勝利が人間でなく、主の力によるものと明確にするように、あえて兵士の数を減らされた。私たちは、自分がもっと強ければ、能力があればと思うだろうか。自分に力が無いから、だめなのだと。しかしもし強ければ、主の働きを自分が奪い、自分を誇り、自分の栄光にしてしまう。信仰的体験さえも、肉は誇る。

 

パウロは、第三の天にまで引き上げられるという、特別な経験をした。人類の誰も経験した事がない。パウロも、自分を誇る弱さがあり、そのため余りにも大きな恵みに、高ぶる事がないように、とげが与えられたと言っている。苦しいとげであったが、それによって高ぶりの罪から守られた。

 

高ぶりからの守りは、何と感謝な事だろう。そして更に素晴らしい啓示を受けた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と。この世では誇れるのは強さだが、私たちは弱さを誇れるとは何という恵みだろう。弱さの中にこそ、主が働いて下さる。

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すべての力を奪われて、ひとりで問題に向き合わされる時は、ひとりで主に向き合う大切な時だ。勇気も気力も主から来る。主に身を委ね、戦いの勝利が主の力によると、主の栄光を拝そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係