「それでもパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が仰せられたとおりである」出エジプト7:13

モーセを通して、奇跡のわざが次々となされた。ナイル川が血に変わり、かえるが全土に満ちた。すると呪法師も同じ事をした。悪魔も万能ではないが、奇跡を行なう。神と同じような事をした。次にのちりが全土で、ぶよとなった。そこで呪法師も、秘術を使ったが出来なかった。ぶよは人や獣についた。

 

その時、呪法師たちは言った「これは神の指です」と。呪法師にはどうしてもできず、まさに神である事がわかった。だが神のわざと理解したからといって、信じるわけではない。パロも、ますます心を頑なにし、彼らの言う事を聞き入れなかった。次に、あぶが全土に満ち、地は荒れ果てた。追い詰められたパロは、民を出て行かせると言った。

 

しかし「決して遠くに行ってはならない」と。悪魔は、私たちにも「遠くに行ってはならない」と言う。信仰はそこそこでよい。すべてを献げるなど行き過ぎだ。適当なところで良い。罪から全面的に離れるなど、出来っこない。悪魔は、私たちを主に近づけたくない、成長させたくない。今も誘惑が来ているだろうか。

 

主は「わたしが主であることを知るようになる」との目的をもって十の災害を下された。しかしパロは神の奇跡を見るが、神を拒んだ。その結果、更に強情になり、頑なになって行った。そうではなく、様々な出来事の中で、神が主であることを知り、認める時に、ますます成長して行ける。

 

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神の奇跡を見たからと言って、神を信じるとは限らない。幾ら超自然の奇跡を見ても。心頑なにするなら、それが信仰へと至らない。心の問題だ。主は信じる事ができるようにと、みわざをして下さる。そこに素直に主を認める時、主がわかるようにされる。主を認めよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係