「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました」マタイ25:24

三人のしもべがいて、主人が旅に出る前に、一人に五タラント、二人目に二タラント、この人に一タラントを預けた。他の二人は喜んで「すぐに行って」それを元手にし商売をした。各々もう五タラント、もう二タラントを儲けたうけた。だがこの人は商売せずに、預かった一タラントを地中に隠したのだった。

 

そして主人が旅から戻った時に、彼は言った。主人は要求ばかりし、奪い取るひどい方なので、怖くなって、地に隠したと。彼の間違いは、主人を誤解していた事だった。「ひどい方」だと。神は冷酷で恐い方、私たちを苦しめ、商売で損でもしたら許さない方だと。

 

「ひどい」=「厳格な」、彼の神観だった。与えられた働きが、喜びでなく、重圧で苦痛でしかない。働きが、恵みであり、特権であるとの発想がない。当然、喜びや感謝も無い。叉、自分は一タラントで、他の五タラント、二タラントと比較し、不満と妬みがあったろう。

 

働いても儲けは少なく、もし失敗すれば怒りを買う。怖いいし何の良い事も無い。それなら、そのまま返せばよいではないかと。減らさなければ問題は無いだろう。そして悪いとも間違っているとも思っていない。根本的な誤りは、神を間違って見ていた事だ。神は愛なるお方だ。

 

失敗もリスクも覚悟の上で、信任して一タラントを預けて下さった。一タラントは少額ではない、六千万だ。仮に、社長が部下に六千万を預けたなら、どれだけの信任だろう。主の愛と信頼に応えるべく、主のために労する、それが喜ばれる態度であり、自らにも喜びとされる。

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低リスクを考えると埋めてしまいたくなるが、失敗を恐れる私たちの弱さも主はご存じだ。その上で信じて任せていてくださっている。託された恵みや賜物を生かそう。主が支えて導いてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係