私たちは多忙で、目まぐるしい。次々と事をこなして行かねばならない。この世では忙しく働き、多くの活動に走り回る事が、人の存在価値に繋がっている。信仰生活も、世の価値観で回っているだろうか。御前に静まる事が非常に難しい。自然にできる事ではないし、簡単ではない。動き回る方が、何かをする事の方が遙かに楽なのだ。
私たちは喧噪と焦り、いら立ちに囲まれている。そのため御前に静まるには、決意が必要だ。でなければ、日々の多忙に流され飲み込まれてしまう。流されると、心はピリピリイライラして、平安と喜びを失う。主を呼び求めていない事が問題で、原因だ。「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」とあるが、まず今、最も必要な事は、御前に静まり、主と交わる事だろうか。
そして主を待つなら「新しく力を得」とあり、新たな力はそこから来る。ダビデも常に、主との交わりで新しい力を得た。様々な苦難の中で、身に重大な危険が及ぶ中で、主と交わった。心の何もかもを主に注ぎ出し、つらい、深い痛みの中で主に期待した。主は、気持ちを受け止めて下さる。詩篇を見る時、いつもダビデは、嘆き、苦しみ、悲しみ、惨めさ、怒り、何もかもを主に吐き出している。
率直に、正直に、思いも気持ちも感情も、主に持って行っている。そして主と交わった後、必ずその結果は、賛美と感謝に変えられている。私たちも、ありのままを主に聞いて頂こう。その時初めて、不思議に心が落ち着いて平安にされる事を経験する。
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祈りの中で、また祈りの後で思いもよらない御霊の示しや心の変化を受け取る。恐れで気落ちしている心に凪が、主の慰めや励まし、力が注がれてくる。主を呼び求めよう。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係