「イエスを売ったユダは・・後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、律法学者たちに返して『私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして』と言った」マタイ27:2

ペテロもユダも、どちらも主を裏切った。大きな罪を犯してしまった。しかもペテロは三度も主を否み、呪いをかけてまで誓った。どちらも裏切ったのが、最後は大きく違った。ペテロは主の赦しを受け取り、主の愛により回復させられ、主の昇天後、諸教会のリーダーとして大活躍した。

 

片や、ユダは、主を銀貨30枚で祭司長たちに売り、「罪のない人の血を売った」と激しく後悔し、彼らのもとへ行き、その30枚の銀貨を返したが、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」とはねつけられ、首をつって死んでしまった。ペテロとユダは何と違ってしまった事だろう。

 

ペテロは裏切った時に、主に向き、主の言葉に向いた。その時、主の言葉に思い当たり、大号泣した。マリヤから主のご遺体が無いとの知らせに、走って墓まで行った。ガリヤラへ行くようにとの主の指示に、主に合わせる顔もない中、しかしガリラヤへ行った。

 

ユダは後悔した時に、主のもとへ行かずに、律法学者のもとへ行った。主を求めず、主に頼らず、自分で決着をつけてしまった。「自分で始末することだ」これは悪魔の攻撃で誘惑だ。どこまでも主に頼らせない。私たちにも来る。自分で何とかしなければ・・。失敗してしまった時に、自分で、自分の力で・・。

 

その時、担いきれない重荷に押しつぶされてしまう。絶望感に襲われる。そうでなく「わたしのところに来なさい」と絶えず招いて下さっている主もとへ、失敗したからこそ行こう。罪の赦しがあり、回復があり、解決がある。平安へと導かれる。

 

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信仰人生で、必ず失敗してしまう。したくはないが、人間なのでミスも過失も犯してしまう。その時に「自分で始末することだ」が悪魔の攻撃で誘惑だ。主のもとへ行かせず、自分で片をつけるようにと。すぐに主のもとへ行こう。赦しと次の導きが与えられる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係