「私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです」 詩篇39:9

ダビデは、身体的、精神的、対人的な様々な苦しみの中で「なぜ、どうして、こんな目に会うのか」との思いでいっぱいだった。しかし、舌で罪を犯してはいけないと、口に口輪をはめた。だが抑え込んで黙していると、痛みはますます増幅し、激しくなって、まさに爆発寸前だった。そこで舌で、人にでなく、主に思いを吐き出した。気持ちの何もかも洗いざらいを、主に告げた。

 

人生は、どんなにはかなく、虚しいかと。いかに盛んであっても、全く虚しいものだと。そんな虚しい人生で、何を待ち望み、何を望めばよいのか。そしてダビデが祈りの中で、見上げた時に、主を見いだした。「主よ。私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」と。そして、ことごとくを祈りに持って行った後、「私は黙し、口を開きません」と言っている。

 

それはその前の罪を犯すから、口を開かないのでなく、「あなたがそうなさったからです」と、今度は主への信頼、信仰に立って

いる。すべてに主の主権を認め、主のご計画がある事を認め、それを受け入れている。人からの苦しみも、信仰により、主からのものと受け止めている。苦しみの中にも、そこに主を認める時に、あなたのむち」「あなたの手に打たれ」と、主を見いだして行く。 するとそこには意味があり、むちも、打たれる事も、主からのものなら、すべて祝福へと導かれて行く。今、起きている事を「あなたがそうなさった」と受け止めて行こう。その時、「私の望み、それはあなたです」と主に向かって行ける。信仰に立って行ける。

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そこに主の御心があると信じるから、あなたを待ち望みますと言える。原因をさぐり自分を責めて苦しむなら、主の御手の支えを

受けとろう。主は全てを知っておられる。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係