「人から出るもの、これが、人を汚すのです」マルコ7:20

御言葉は、悪はみな、「内側から出る」と言っている。そして人を汚すのだと。人の心から出るものは悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲・・と。不思議な感じがするが、外から入ってくるのでなく、内側から出ると言っている。外側から入って来るものは、人を汚すことはないと。しかし例えば対人関係で悩みが生じると、どうしても相手が悪いと思ってしまう。

 

相手に原因を探す。相手のせいでこの苦しみが起きているから、相手次第で、問題は解決するのだと思う。相手が変わる事を願う。しかし御言葉は、相手の問題でなく、自分の内側から悪が出ていると言う。御言葉がそう言っている。根深い恨み、裁いて見下す心、憎しみ、復讐心・・それが自分の罪となり、自分の心から平安を奪っているのだと。

 

「隣人を愛しなさい」との律法からはずれているから、心がつらく苦しい事になっている。そういう事になる。しかし、自分の事は見えず、相手の問題だとしか見えない。その前の「その心は、わたしから遠く離れている」と言われたパリサイ人と同じになってしまう。なかなか自分の内側は気づけない。しかし新たにされ、御霊を宿す私たちに、御霊は絶えず働いておられる。

 

気づきを与えようとされている。闇を照らす光として。そして主の十字架の血潮により、邪悪な良心がきよめられている。主から目を離さず、主に近づいて行く時に、御言葉が心に入り、気づきが与えられ、そして従う時に平安にされる。どうであれ、従おうとの意志がある時、御霊は必ず、御心の道へ、平安な道へと導かれる。

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相手のした悪を思っていると裁いている自分を意識せずに済むが、欺かれないようにしたい。ただただ自分の罪に気づきたい。罪赦され主にある平安を受けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係