「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」マタイ5:37

ある人が職場で退社後に、しょっ中、独身仲間内の飲み会があった。皆は飲みたくて集まるのだが、自分はお酒は飲まないし、時間も大事な他の事に使いたかった。だが仕方なく付き合っていた。結局は、飲むのが好きな人たちが、好きでやっている事だった。続くと身体は疲れるし、時間も取られて何も出来ない。段々苦痛になって来た。

 

心身つらくなって来て、平安も全く無く、主の御前に祈った。祈っていると、自分がズルズルと参加したくないのに、中途半端に付き合っている事、きちんと断らない事が問題なのだと示された。よく祈って断った。するとすんなり受け入れられ、別に関係がどうのという事も全く無かった。帰宅後の時間が、聖書を読むこと、祈ること、主のために用いる事、叉、休息を取ることができて、充実し、平安が戻った。

 

「ノー」が言えないと、我慢して嫌々する事になる。嫌々なので段々重荷になって、喜びと平安も失せてしまう。秩序も無く、生活全般がギクシャクする。ある人は、隣人が家にひんぱんに来る事を断れないでいた。こちらの事情もあり、するべき事も多々あり、困惑した。しかし嫌われたくないので、「ノー」が言えない。すると段々相手が苦痛になり、心はつらくなり、いつしか恨みになって行った。

 

原因は「ノー」が言えない事だった。「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」とあるが、「いいえ」は、「いいえ」と言う事により、恨みや憎しみから守られることになる。「ノー」を言えないところから、混乱が生じ、平安を失っているだろうか。適切な「ノー」は秩序と平安を生み出す。

-------------

少し無理をしたら出来るからと、ノーを避けてイエスと言ってしまう。苦い失敗から学びたい。日頃からよく祈り、誠実にノーを言えるようになろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係