「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」Ⅱコリント9:5

神の価値観は、この世の価値観と全く違う。例えば、経済的に苦しくなった時はどうだろう。世の価値観では、当然収入を増やし、支出を抑える。財布のひもを締める。しかし主は正反対だ。そんな時には「与えよ」と。そうすれば与えられると。

 

ある宣教師が、ある時母国のサポートが少なかった。家賃や高熱費等、通常の支払いをすると手元に残らない。とにかく必要が与えられるよう祈りに祈って、可能な限りの節約をした。そんな時、予定していた支出分が浮いて、これは主の答えと感謝し喜んだ。ところがその分が、想定外の病院通いで、すべて無くなった。

 

どうした事か。与えて下さったのでは無かったのか。これは一体どういう事かと、主の御前に御心を尋ね、祈った。すると、主は更に献げよとの、御心を示された。「与えよ。そうすれば自分も与えられる」と。しかしもう手元には僅かしか無い。生活も難しいほどだ。しかしどれだけ祈っても、主は献げよと言われる。そこで決心した。

 

主の御心に従おうと。主の示し通りに、持てるものを献げた。信仰によって献げ、あとは主に身を委ねた。すると不思議が起きた。メッセージに招かれた特別な集いで、自分たちへの愛の献金が献げられた。何と支払い含め、生活の必要のすべてがことごとく満たされた。

 

「神は、あなたがたを、常にすべての事に満ち足りて、すべての良いわざに溢れる者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかりに与える事のできる方」を知らされた。

 

・・・・・・・・・・・・・・

経済的な事は、御言葉とこの世の価値観がもろに相反する。貯えると増え、出すと減るのが常識だ。だが御言葉は献げると増え、取り込むと失うと。ばらまいて富む人があり、正当な支払いを惜しんで、乏しくなる者があると。この事で喜びを経験して行けますように。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係