「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」詩篇51:10

ダビデは、バテシバと姦淫を犯してしまった。悪魔の誘惑を受けやすい状況にいた。家来たち全軍が、命がけで戦いに出ていた時に、「夕暮れ、床から起き上がり」と、ダビデは夕に起き出すような怠惰な生活をしていた。その時、水浴びをするバテシバを見て、誘惑に負けてしまい、召し入れ罪を犯してしまった。その後、夫のウリヤを戦死に見せかけ殺害した。

 

ダビデはその罪を隠ぺいする。ウリヤの喪が明けると、バテシバを自分の家に迎え入れた。戦死兵の妻を迎え入れ、周囲の目には、良い王と見えただろう。トップであり、人は思いのままに動かせ、何でも思い通りに出来た。しかし主の目には裸だった。そしてダビデはこの罪を隠していた間は、非常な苦悶の中にいた。「黙っていた時には、一日中うめき、骨々は疲れ果てた。

 

御手が昼も夜も重くのしかかり、骨髄は夏の日照りで乾ききったと。主は、ダビデに預言者ナタンを遣わされた。ナタンは例え話によって、ダビデの隠された罪に迫った。ダビデはその例え話の、貧しい人の大切なものを奪った男に「その男は死刑だ」と激怒した。ダビデの内にあった同じ罪であり、無意識にも強く反応した。そしてナタンは真っ直ぐにダビデの罪を指摘した。

 

するとダビデは「私は主に対して罪を犯した」と罪を認め告白した。その瞬間「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」と。ウリヤを殺害したダビデだ。ナタンをも殺害してもおかしくない。叉、王の立場であり。部下の手前もあり、悔い改めはなかなか出来ない事だ。しかしダビデはへりくだって、悔い改めた。ダビデの信仰だった。

 

主の大きな愛の中で、赦され、建て直されて用いられて行った。重大な失敗をしてしまうが、それで人生終わったのではない。悔い改めるなら、なおも主は赦し、やり直させて下さる。

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主に赦されない限りいつまでも罪は目の前にある。悔い改めの思いを与えてくれるのも主の恵み、主からのものだ。主のご愛に応えていこう。主は豊かに赦してくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係