「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した」ヨシュア6:2

新しい指導者ヨシュアと民は、主の奇跡により、ヨルダン川を渡り約束の地に入った。するとそこにはエリコの城壁がそびえていた。難攻不落の城壁が、目の前に立ちふさがった。どうすれば良いか。そんな時、抜き身の剣を持った人物が、ヨシュアの前に立った。敵地で剣を持つなら、敵と思うが、ヨシュアは思わず「あなたは味方なのか、敵なのか」と聞いた。

 

だがその人物は、「いや、私は主の軍の将として、今、来た」と答えた。味方でなく敵でもなく、主の軍の将なら、リーダーだ。つまりリーダーは主ご自身であり、主が戦いの主導権を握るのだと。私たちも、もし主が「行え」と言われたなら、それは主が戦われるという事だ。なすべき事は主に信頼し、主に従う事だ。そして「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所」だと言われた。

 

はきものとは、自分の思い、考え、経験値、常識だ。それらを捨てて、主に従うことだと。将はヨシュアでなく、主であり、主が導かれる主の戦いだ。主は、奇抜な不思議な方法を命じられた。理解不能な方法だが、ヨシュアたちはそれに従った。民は6日間、毎日町の周囲を回った。民は、「なんでこんな事を?」と思った事だろう。

 

しかし、理解できないが、言われた通りに従い、7日目に7回周り、鬨(とき)の時の声を上げた時に、城壁は「崩れ落ちた」。主が成し遂げられたのだが、民も従順に従った。ヘブル書では、「信仰によって」城壁は崩れ落ちたと言っている。信仰による従順だった。6日間、全く何も起きなかったが、7日目に奇跡が起きた。なかなか目に見えずとも、主の御心に従い続けよう。今は、勝利の一歩手前かも知れない。

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戦いの主導権はいつも主であると、へりくだって主の配下にいよう。何も見えない限界であっても、その中で謙遜を学べる。主は勝利を渡したと宣言されている。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係